生きる力と受験

こんにちは!塾長の石割です。

 

 

 

今日は、久しぶりに共感できる記事を読んだので、ちょっと思うことを書こうかなと思います。

 

 

 

昨今の教育のテーマの一つが「生きる力」ですね。

 

文部科学省はこの力について、21世紀の教育で育んでいかなければならない力として、

「我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力など自己教育力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を、[生きる力]と称することとし、知、徳、体、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。」

と述べています。

 

2020年度に施行された新学習指導要領では、これまでの関心・意欲・態度という項目が

「主体的で対話的な深い学び」として刷新され、子供たちが興味をもって自ら学んでいくことが重要だとされています。

 

そして、同時に「ゆとり教育」が始まり、私立大学の数も増え、高校卒業後に進学を選ぶ生徒が増えました。

同時に、これまでの受験戦争が徐々に冷めてきて、「受験のための勉強が正しいとは限らない」とする学校や塾も増えてきました。

 

ただ、私は「生きる力」が受験に勝つために身につける学力とは違う、とは限らないと思います。

 

それはなぜか?

 

「社会に出て必要とされる生きる力」=「自分で学び、考え、主体的に判断し、行動する力」だとするのであれば、

その力こそ勉強しないことには身につかないからです。

 

漫画『ドラゴン桜』で、落ちこぼれ高校となった私立龍山高校で東大合格者を出すために教鞭をとる主人公・桜木健二は、

国や社会、組織のルールに黙って従い、搾取される者たちを馬車馬に例えて、生徒たちに向かってこのように語っています。

 

「馬車馬になりたくなかったら声を上げることだ!自分が持つ権利を主張することだ!

君たちには権利がある。自分を守り自由に生きる権利を持っている。

しかし何の権利を持っているのか?その権利はどうすれば使えるのか?

知らなくてはならない。事前に知識として頭の中に蓄えておかなくてはならない。

権利を知り、権利を使うためには、勉強する以外にない。勉強して自分で考える人間になるほかない。

自分で考えて、自分で主張する。自分で環境を変えるのだ。

そのための知恵を身につけるのが勉強だ。勉強が自分の身を守るのだ。

諸君、自分で生きるために勉強しろ!

 

 

「生きる力」を説き、現状の教育に物申すコメンテーターや専門家。

生き抜くためには学歴はいらない、勉強だけで来ても社会で使えるとは限らない、とのたまう起業家。

 

でも、よく考えてみてください。

 

専門家やコメンテーター、アナリストという職業で第一線の活躍をしている方の多くは超高学歴ではないですか?

若くして企業したり、ベンチャーを志すような学生は早慶や東大・京大・旧帝国大学クラスの最難関大学出身者が多くはないですか?

 

たまたまではなく、ちょっと考えたら当たり前のことです。

 

受験というレールに乗って厳しい競争を勝ち抜いてきた学生は、成績優秀者がほとんど。

そして、そういう生徒たちが周りよりも成績が良かったのは、学校教育の中でも主体的に学ぶことができていたからです。

先生の授業にも熱心に耳を傾け、学年が上がるごとに深くなっていく内容に興味を持ってチャレンジしてきたんです。

そういう学生は、学校で習うことだけでなく、普段の日常生活でも興味をもって調べ、考え、学ぶ癖がついています。

 

たとえば、「原子力発電は危険性が高いので避けるべき」だと言われますが、

皆さんはなぜこれが危険なのか理解できていますか?

そして、さらに踏み込んで、ではなぜ原子力発電が採用され、全国に発電所が作られたかわかりますか?

原子力発電を採用するとして、他の発電方法と比べてどんなメリットがあったのか疑問に思い調べたことはありますか?

多くの人は、「危険なものは危険だから」としか思ったことはないのではありませんか?

そこで興味をもって、「ほかの発電方法とは何が違うんだろう」「再生可能エネルギーによる発電はなぜ普及しないんだろう」など、

深く調べたり考えたりしようとしたことなんてないのではありませんか?

 

それが主体的に学ぶことができる人とできない人の差だと思っています。

そして、それができる人こそ、誰もがうらやむ難関大学へと進んでいくのです。

そういう大学では、主体的に学ぶことができ、自分で考え判断し行動できる人間が集まるからこそ、

起業してこの国や世界を変えようとする若者、文明の進歩のため研究を志す若者が生まれやすいのです。

 

社会に出た後も、その力がある人物がやがて高い地位で人を動かし、組織の舵をとるようになります。

なぜなら、管理職、そして、経営者となれば、様々な情報や現状を広く深く把握し、自分で考え、判断を下していかなければならないからです。

組織に属さず起業したり、独立して仕事をとるとなれば、さらにその力は重要になります。

同時に、業務に関する知識や、法律などさまざまな知識も吸収していかなければいけません。

学生が終わっても、人は勉強し続けて、自分の知識を深めていかなければならないし、常に思考し主体的に決断することが求められるのです。

 

だからこそ、学生たちは勉強しなければならない。

自分が考えるための土台となる様々な知識を吸収しなければならない。

さまざまな問題に触れ、深く理解していかなければならない。

覚えたことを応用して、あらゆる課題に適応し、解決していかなければならない。

それを一律に全員が経験できる場こそ、学校であり、受験であると私は思います。

 

桜木先生が放つ「東大を受験しろ」というメッセージは、強烈で突拍子もないかもしれませんが、

いい大学にとりあえず行けばOKという、古い価値観に洗脳された大人のメッセージとはまったく意味が違います。

それは、私自身、受験を経験し、大学で学び、就職して働く中で、同年代で活躍する若者たちを見て、強く感じています。

 

自分の知らないことを知ろうとする、わからないことを理解しようとする。

どうすれば点数が伸ばせるか、どうしたら成績が上がるのか、どうしたら志望校に合格できるのか。

生き抜くための知識を身につけ、自分で仮説を立て、自分で考え、自分で判断し、自分で行動し、問題を探してまた繰り返していく。

それがどんな力なのか、どうしたら身につくのかを、受験を通じて学んでくれたらいいなと思います。

 

塾は塾屋らしく、「生きる力」「楽しく学ぶ」「人間力を鍛える」なんてふわっとした目標を掲げず、

「成績UP」「志望校合格」を目指せばいいと私は思っています。

生徒達が、「なぜ学ばなければならないのか」を、自分たちが大人になったときに気づいて、次の世代に伝えてくれると嬉しいですね。

今この塾に通ってくれているすべての生徒に、真剣に受験と向き合ってもらいたいと思っています。

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